僕は、KLMを使って成田を出発し、アムステルダム経由でマルセイユに向かってます。アムステルダムで、マルセイユ行きを4時間待つので、総移動時間約22時間弱かな・・・。
すごい移動時間だ、沢山の本と機内の映画でなんとか暇をつぶそうと今も格闘中です。
この時期だと大学生が多いのだけれど、以外と飛行機の中は空席が目立ってる。円高で、海外旅行が安いのにもったいないなーとか思ってたり。昔、僕がフランスに居た頃は1ユーロ=160円弱だった。だから、ものを計算するのが大変で大変で。
10ユーロでも1600円弱だし、ものが高かった印象がある。けど、こないだ1ユーロ100円を切って、97円だった。今でも100円台を上下してて、お金の計算が前よりも楽で、安心できる。けど、北欧は税金が高くて、ものの値段が張るから、恐ろしい。
3/11を境に僕は、いや僕たちは、いろいろとものの考え方が変わっていったんじゃないかと思う。昨日まであった、普通から非日常の世界と変わって、地震は絶えず起こり、電気が止まっていった。常にテレビをつけ、情報を集めようと必死になっていたと思う。
僕は就活がストップし、常にテレビをみて情報を集めていた。けど、それが次第にナーバスになり、不安が止まらなくなったりしたと思う。家につい引きこもってしまったり、東北の人たちの現状を知る度にどうしたらいいか分からなくなったりとしてた。
関東圏の人は、計画停電にもなり、ある時間が来ると電車以外の電気は全てストップしていた。そういえば、蝋燭でご飯も食べたこともあった。
そんな中、たぶん多くの人が自分に何ができるか必死に探していたと思う。僕もそんな中の一人だった。けど、何から始めたらいいか全く分からなかった。そして、自分のふがいなさに悩んで苦しんだと思う。
何ができるだろうかが、次第に何もできないんじゃないかに変わっていった。
そんな中、ラジオを聞いているとふとこんな言葉が聞こえてきた。「何かしてあげるんじゃなくて、まず今をしっかりと生きよう!家族や友人を大切にしよう!」こういう時こそ、改めて家族ともっと話さくては。
不安を抱え込むのではなく、しっかりと話そうと。いつも僕は、不安や壁にぶつかった時、誰かと真剣に話すことで乗り越えてきたことがたくさんあった。
高校時代の留学でホスト家族と揉め、悩んだ時もしっかりと自分の言葉で話し、乗り越えてきた。話すことがスタートだった。家族と話そう!今ある不安について話そう!と僕は思った。実際に話してみると、しょうもないことに悩んでたことが分かり、少し冷静になることができた。
そしたら、自然と今回の地震で被害があったのは、東北だけではなく関東圏も被害を受けていたことが分かり始めた。そして、浦安市が地盤沈下で多大な被害を受けていたことが分かったのだ。すぐさま、僕はインターネットで情報を集め、市役所に電話をした。そしたら、明日にでも来てほしいことを教えてもらった。
浦安に行ってみると、至る所で地割れや地盤沈下し、泥が地面から溢れていた。さらに地盤沈下の影響で、上下酔漢が壊れ、水が全てストップしていた。マンホールなどは、地面から突き出していた。
浦安市の市役所には、多くのボランティアが関東から集まっていた。僕はふとそこで、涙が出そうになった。みんなが「誰かを助けたい」って一心で集まったんだなって思うと。自分も大変かも知れないのに来ていることにうれしくなった。
市役所でボランティアの講習やどこで何をするのか説明を受けていたら、なんと小学校の時の同じサッカー部の友達I君に出会った。彼とは、成人式以来でまさか、ボランティアで再会するとは思ってもみなかった。
I君はもう何日も前から来ており、お互いに今回の震災について、気がつくと真剣に話していた。彼もまた、「困ってる人を助けたい」って一心に来ていたのだ。
実際のボランティア活動は、地面から溢れ出てきた泥の撤去や、水の供給であった。小学校の校庭などは、泥まみれで学校もしばらく休みになり、卒業式を中止になっていたところが沢山あった。まず、僕は一日目に校庭の泥の撤去をした。
久しぶりの重労働で、次の日は全身筋肉痛になってた。あんなに泥を運ぶことはもうないだろうってくらい運んだと思う。次の日は、水運びをし、マンションなどで困っている人たちに届けた。
三日目も僕は水運びをした。その時に、僕はボランティアしてる人で帰宅難民になっていた大学生S君にと出会った。S君は東京に遊びに来ていたのだけど、地震で実家に帰れなくなって、友達の家を転々としていた。
被災者で困っているのに、誰かのために動かずにはいられなかったらしい。そんな姿に感動し、何か助けることはできないかといつのまにか考えていた。気がついたら僕は彼を家に泊まりにこないかと誘っていた。
お人好しすぎるかも知れないしれないけど、彼の一生懸命に働いてた姿を見てたら、助けたくなってた。母親も泊まることを許してくれ、ご飯までも出してくれた。親子そろって、お人好しです。
S君は、久しぶりに温かいご飯を食べれてとてもうれしそうで、本当に感謝してくれた。大学4年生だったから就活のこととか、何をしてたのかとかお互いに沢山話してた。
次の日になんとか、自宅に向かう切符を手に入れることができ、僕たちはそこでさよならをした。一時の出会いだったけど、彼にどんだけ勇気づけられたか忘れません。ありがとう!
それから就活や大学が徐々に始まっていき、みな徐々に戻り始めていった。けど、まだまだ電気の供給が足りておらず、電車の中が暗くなっていたり、東京もなにか自然と暗かった。元の生活に戻っていったけど、皆どこかしら人とのつながりを改めるようになっていったのじゃないかと思う。
絆という漢字が去年の漢字になったように、無視する社会じゃなく、どう人と向き合っていく社会に変わっていったと思う。少しずつ忘れていってしまってるけど、何があったのかたまに思い出してほしい。
それが、あの時に「誰かの為に何かをしてあげたい」って気持ちだったら素晴らしいと思う。
続く。
アムステルダムに到着したもの、待ち時間が4時間もある…
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